February 04, 2022

「雄弁は銀、沈黙は金」

 はじめに

この記事は誰にも読まれない可能性がある記事のため、僕の主観を発散することが主目的となっています。もし奇跡的にこの記事を読むことになった方がいらっしゃいましたら、どうか今日の晩御飯のことでも考えながら適当に読んでください。この記事を読み終わる頃に晩御飯を決められていれば、今からの数分間も無駄ではなくなるはずです。

「雄弁は銀、沈黙は金」

好きな言葉は?と聞かれたら、80%の場合「雄弁は銀、沈黙は金」と答えています。20%は、最近観たアニメに影響されて適当なことを言っています。

この言葉を知ったのは大学1年生の時だったと思います。「名言集」とGoogle検索をしてたどり着いた言葉だと記憶しています。 僕はよく余計なことを言って、「なんであの時あんなことを言ったのだろう」と一日中後悔しするタイプの人間です。きっと「名言集」と調べていた当時の僕は、自分の発言に後悔して、他者の言葉に自分を肯定してもらうために一晩中、ネットの海から自分に都合の良い言葉を見つけようとしていたのではないでしょうか。

「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉は、「喋らないことは時として良いことなのだ」と、自分の喋りすぎで後悔している自分は正しいのだと肯定しているように見えたのだと思います。

そんな若気の至りのような、今振り返って言語化すると恥ずかしい出会い方をしたこの言葉ですが、今現在では別の意味で自分の人生の指針となっています。 人と話す時、沈黙はお互いにとって思考を張り巡らす絶好の機会だと僕は考えています。沈黙を恐れて五月雨に言葉を発したり、相手に反論したくて食い気味に言葉を返したりするのではなく、沈黙を意図的に作り、自分の言葉や相手の発言をしっかりと咀嚼することで冷静かつ論理的に会話を構築することができるのではないでしょうか。 今でも喋りすぎを後悔する毎日ですので、「雄弁は銀、沈黙は金」と自分に言い聞かせて、喋らないこともカッコ良いことだと思うようにしています。

さて、沈黙はややこしいです(断言)。なぜなら人によって沈黙の時間が違うからです。僕は1秒無言の時間が続くと耐えられなくなってしまうのですが、人によっては10秒間無言の時間が続いても何も感じない人もいます。 そのため、自分では沈黙を意識したつもりでも、相手からしたら「まだ次の発言を考えている最中なのに!」と思われているかもしれません。「自分の沈黙≠相手の沈黙」ということを常に頭の中に入れ、臨機応変に対応していけるように心がけています。大人なので。

おわりに

ここまで読んでくださった方、本日の晩御飯は決まったでしょうか?僕はファミリーマートのカツ丼にします。それでは。


ブログの主:オキツ

職業:Webエンジニア

好きな日本酒:空(愛知)・新政(秋田)

愛車: Tracer900GT(2018)